2013年4月30日火曜日

「新浦安日記」の認知科学(【追記あり】)

中部地区の大学で英語学を教えている友人からこんな出だしのメールが届きました。

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最初「新浦安日記」を見たとき,「大津先生,浦安日記なんて,書いてたっけ?」と思いました
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明海大学の学生・院生(少なくとも、その多く)はこうは思わないはずです。どうしてかというと、「新浦安」という駅があり、大津が所属する明海大学がその近くにあるということを知っているからです。

つまり、明海関連の皆さんにとっては、「新浦安」に関する「日記」というのが「新浦安日記」だということがごく当然の解釈です。

しかし、明海大学近辺の土地勘がない、わたくしの友人にとっては、(あの東京ディスニーランドがある!)浦安は知っていても、新浦安のことは知らない可能性が高い。そうであると、「新浦安日記」は新しい「浦安日記」という解釈が当然の解釈となります。

じつは、この件に関して、すでに、静岡県立大学の寺尾康さんがおもしろい指摘をしてくれています。

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ついでながら、「浦安日記」は山本周五郎の作です、と言ったらけっこうな数の聴衆が(新しい浦安日記と---大津)信じてしまうかな。
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《さすが寺尾さん!》という指摘ですね。上の指摘を理解するためには山本周五郎のことを少しは知らないといけません。簡便に、ウィキで「山本周五郎」を引くと、こんなことが出てきます。

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山本 周五郎(やまもと しゅうごろう、1903年(明治36年)6月22日 - 1967年(昭和42年)2月14日)は、日本小説家
(中略)
1926年(大正15年・昭和元年)『文藝春秋』4月号に『須磨寺附近』が掲載されこれが文壇出世作となる。10月20日、脳溢血で母・とく死去。
1928年(昭和3年)千葉県東葛飾郡浦安町(現:浦安市)に転居。10月、勤務不良により日本魂社から解雇される。
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加えて、周五郎には『戦中日記』をはじめとする、日記物の作品もあるということを知っていると万全です。

つまり、周五郎が作家であり、浦安に住んだことがあり、かつ、日記物ものこしているということになると、「浦安日記」という作品を書いていたとしても不思議はない。

これだけの知識があると、《あ、大津は周五郎の向こうを張って、「新浦安日記」なんてしゃれたのだ!》と思ってしまうというわけです。あ、周五郎は『青べか日記』というのはのこしていますが、「浦安日記」なんてものはのこしていません。

これって、なんのことはないように思えるかもしれませんが、じつは奥が深いのです。ゼミの皆さん、概論・特講のみなさん、院生のみなさん、重要ですよ。

「新浦安日記」という表現は、「新」「浦安」「日記」という3つの部分(名詞)から成り立っています。この3つの名詞がこの順序(語順)で並んだ時、隣同士の結びつきの粗密に2つの可能性が考えられます。

1つは、「新」と「浦安」が密接に結びつく(「新浦安」)。そして、それに、「日記」がかぶさって、より大きなまとまり(「新浦安日記」)ができあがる。これが「明海大学解釈」です。

もう1つの可能性は、「浦安」と「日記」が密接に結びつく(「浦安日記」)。そして、それに「新」がかぶさって、より大きなまとまり(「新浦安日記」)ができあがる。これが「周五郎解釈」です。

「新浦安日記」というのはそんなおもしろさを持った表現なのです。この語と語の結びつきによって生まれるまとまりとその重なりというのはことばを支えている、とても重要な原理です。まとまりとその重なりによって、最終的には文が形成されます。

この語のまとまりとその重なりは目に見えません、耳に聞こえません。その意味で「抽象的」なのです。ことばの背後に広がる抽象性の世界は探検するものにいつも驚きと喜びを与えてくれます。

「新浦安日記」はさらにおもしろいことも教えてくれます。上で触れた2つの可能性はあくまでわたくしたちがもっている日本語という知識が認める可能性です。そのうち、どっちが先に思い浮かぶか、これはその人が浦安や新浦安について、さらに言えば、山本周五郎についてどんなことを知っているのかなどによって左右されます。つまり、ことばの知識が使われるときには、ことば以外の知識と働きあいながら、理解がなされたり、発話が行われたりするのです。

いまの最後の文に出てきた、「ことばの知識」とはなにか、ことばの知識とことば以外の知識と「働きあい」とはなにかを明らかにし、ことばが使われるときのメカニズムを解明しようというのがことばの認知科学なのです。

【追記】

わたくしが担当する科目を受講中のみなさん、以下の課題に対する解答(いずれか1つの課題でよい)をA4用紙片面1枚以内にまとめて5月12日の週の授業時間内に提出してみてはどうでしょうか。よい解答にはボーナスポイントを差し上げます。
【課題1】 本文中に出てくる「青べか日記」ですが、最初にアップしたときは、間違えて、「青かべ日記」としてしまいました。恥ずかしい間違いですが、ネット検索をすると、同じように間違えたアナウンサーもいるようです。どうしてそんな間違いを犯しやすいのか、似た間違いの例や間違いがその後、正用法になってしまった例などを交えて論じなさい。(この課題は寺尾康さんからのメッセージにヒントを得て作りました。転んでもただでは起き上がらない大津でした。ちなみに、「青べか」とは、青いべか舟(貝や海苔を採る一人乗り平底舟)のことだそうです。)
【課題2】 本文中に上がっている例はすべて日本語ですね。しかし、わたくしが明海大学で担当している科目は「英語学概論」とか、「英語学特論」とか、英語学に関するものです。どうして、日本語の例が英語学と関係するのでしょうか。


2 件のコメント:

  1. 私もICUでIntroduction to Linguistics, Introduction to Languageという講義を取った事がありますが、上記の先生の説明を拝読して、忘れかけていた言葉の持つ面白さに改めて、感心しました。

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  2. ことばというのはあまりにも身近な存在なので、そのすばらしさとか、楽しさ、奥深さ、怖さといったものに無頓着になりがちなのですね。そのくせ、ことばの問題になると、とんちんかんな考えを披露しなくては気が済まない人もたくさんいます。もっと言語学者がそのことを広く伝えないといけないと思います。

    ところで、ICUにいらっしゃった井上和子先生がIntroLingを「インリン」、IntroLangを「インラン」と(けっこう公式な席で)おっしゃったときには度肝を抜かれました。その話をどこかでしたら、ICU出身のあるかたが「「インバイ」というのもあるのですよ」と教えてくれました。「Introduction to Biologyですか」と尋ねたら、「いえ、Introduction to Bibleです」との答え。受け狙いだったかもしれないなあ。

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